白河市借宿(平成16年5月9日)
白川石川線が参道を掘り下げた格好だ。恐らく開通に伴って移動があったとおもわれる。
この山頂に羽黒神社が鎮座しておわします。標高 393.5mのこの山はかって人忘れずの山といわれ、関山、烏峠と共に白河三山と称され数々の歌に詠まれてきたようです。
みちのくの阿武隈河のわたり江に人忘れずの山は有けり (曽良の随行日記)
さあ〜我々も行ってみましょう。
一瞬誰の廟所かと思ってしまいました。何と松平定信公の歌碑。少しおおげさな。
子孫である松平定教(元桑名藩主・子爵)が明治30年に建立した。
石工 小松寅吉
白河観光協会の看板に以下の文章が
人不忘山
新地山と称す。昔は松茸の産地で、代々の藩主が毎年松茸狩を行い、幕府に献上したと伝えられる。
羽黒神社は、源義経の家臣佐藤継信の母が子の継信、忠信の冥福を祈って勧請したと伝えられている。
松平定信公はこの地を訪ね「世々へても心の奥に通ほらし人忘れすの山の嵐は」と詠っている。
また室町期、道興准后は「廻国雑誌」に転寝の森より八槻へ赴く道すがらに「人忘れの山を過ぎ」と記している。また八雲集に「陸奥のあぶくま川の あなたにそ 人忘れずの山はさかしき」
この歌により、古くからの地名である事が分かる。
残念ながら期待していた展望はなく妻の非礼を詫び乍ら参拝をすませると早々に下山しました。
我が夫の敬愛する寅吉の作品です。この独創性、ダイナミックな力強さがお好きの様です。
拝殿はいい加減だが、本殿はご覧の通り。
「どうせ神社は大したことないし〜、遠いし〜、ゆかない〜」と我が愚妻はほざきおった。だから、「この〜罰当たりめ、地獄へ落ちろ」と云ってやった。
ここから神社までは15分程。とても歩きやすい道です。