瑞石寺の句碑

瑞石寺の句碑紹介  











瑞石寺の句碑




塗畦を 
  参道にして
  瑞石寺

句「塗畦を参道にして瑞石寺」
 (ぬりあぜを さんどうにして ずいせきじ)

  俳人、阿波野青畝(あわのせいほ) 詠

 大和の高取に生まれた青畝は、周囲の風向、千有余年の歴史、堂塔伽藍、殊に、万葉集に吟詠せられた古蹟名勝、それらの間にはぐくまれ来った。
 青畝の句は、「俳諧天国の真中に安座して、・・・貴人行き、野人行き、老も若きも共に行く縦横の街路井然として乱れず、而かもその静かなる水に影を映して、一塵をとどめざる感じがする。」と、師高浜虚子が褒詞を贈っている。 
(出典不明)

 ※阿波野青畝氏は俳人高浜虚子氏の三大弟子の一人と言われていたそうです。阿波野青畝氏は平成に入り亡くなられ、90歳の長寿を全うされたそうです(本HP編集者)。

 この俳句は、昭和23年6月、貝島炭坑の労働者慰問に訪れた青畝が、瑞石寺に参詣した際に詠んだもので、句集『春の鳶』に収録された。
 現今の参道ではなく、宮田町脇野から、小川に沿って山あいの細道を歩き、古い小さな棚田(たなだ)の脇をぬけた。若宮側からは、昼間でも薄暗い山を抜けなければ、如来田には出入りできなかった時代である。
 瑞石寺に句碑が建つのは、昭和61年4月19日のこと。建立者は「かつらぎ福岡俳句会」。再び来山した青畝は米寿を迎えていた。
 俳誌『俳壇』(昭和61年6月号、52〜53頁)には、「仏生会 −瑞石寺句碑開− 」として、数句の紹介がみられる。

      (平成14年8月)

 資料提供:瑞石寺     構成編集:藤渕明宏



















瑞石寺山門から真正面(脇野方向)に旧参道入口が見えます。



マピオン地図より編集


その旧参道を下ってみましょう。



 さあ、その旧参道に入ってみました。
 瑞石寺ご住職の本多迪冨様のご案内で草や木々をかき分けながら、その道に入りました。
 写真のように旧参道はほとんど消えています。10m四方の田圃が30枚ほど500m近く脇野向かってあったとのこと。今では、その田に木々が茂るなどしていて信じられないほどでした。
 阿波野青畝氏は、その当時40数歳、詠んだ句「塗畦を参道にして瑞石寺」・・・その感慨に耽りました。

 
 

 昭和28年の大雨による出水によって、ほとんどの田が流されてしまい、今では全く開墾されていません。旧参道は、脇野からほぼまっすぐに延びていて馬車など通う大切な生活道路でもありました。




 数年前、この川にサンショウウオをもっとたくさん呼び戻そうと、笠松小学校、宮田西中の児童生徒が取り組んでいたと聞きました。
 竹炭づくりの窯も残っているとか。




 これは? そうです、真新しい1m四方のイノシシの泥浴びの跡でした。


 200mほど旧参道を下りますと、田の跡は全く残っていませんでしたが、旧参道の原形がわずかに残っていました。
 清い川のせせらぎ残っています。以前はサンショウウオがたくさん棲むなど、もっと清い流れだったそうです。








 上の写真は、何でしょうか。参道の側帯に幅は40p、高さは60pさて?
  実はイノシシがつい先ほどに山芋(やまいも)を掘った跡です。きれいに掘り、食べていました。


 上の左の写真は何を撮しているのでしょうか。旧参道の際にありました。
 実は、イノシシの「けもの道」です。右写真のようにわかりやすくしてみました。幅はせいぜい30p、その道はずっと続いています。人の道はほとんど消滅しているのに、驚きです。
 このけもの道をたくさん見つけました。




 

 旧参道の脇野側です。瑞石寺からほぼ500m、瑞石寺の御住職直々のご案内でたどり着きました。


ここに自然がいっぱい詰まっていました。一度探索してみませんか。

ヘビや蛙・・・に出会い、そして深い緑に浸ることができそうですよ。


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宝物「華厳釈迦図」


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