はじめに

宮田町・若宮町は平成18年2月に合併を控え、新市のまちづくりについて関心が高まっています。ここに菅原峻先生の講話用原稿を掲載し、宮田・若宮町の、いえ全てのまちの図書館設置に重要な参考となるものと確信し、作成しました。
講話1「生涯学習とその施設を考える」は、平成15年に宮田町生涯学習推進協議会における講演原稿によって作成したものです。
講話2「新市の明日をひらく図書館」は、平成18年2月に宮田町と若宮町が合併し宮若市となることが決まっている中で、その新市建設計画に「図書館」建設が打ち出されていることから、両町民から16名のボランティアスタッフが集い、平成18年1月迄に「図書館の基本構想案」を作成しようとしていますが、平成17年7月におけるボランティアスタッフ会議の折に菅原峻先生が指導のために持参された原稿をここに掲載しています。
講話3「図書館はわたしの友だち」は、平成12年に篠山市において、図書館建設基本計画の作成の途上において、市民に呼びかける講話をされたときの講演原稿です。菅原先生の図書館に対する基本的な考えのベースのような気がします。
講話4「図書館をはじめるとは」は、平成17年宮若のボランティアスタッフ会議においての講話録音を起こしたものです。その中で「図書館をつくる」という一般的な感覚を「図書館をはじめよう」とスタッフに説かれたことが強烈な印象を与えました。それ以来、私たちは図書館をはじめようを合言葉にしました。
 なお、全原稿とも、菅原先生の許諾を得ております。
                                          本HP作成者


    

                                        

講 話 3
図書館はわたしの友だち
               〜図書館ワークショップにあたって〜
                  図書館計画施設研究所長 菅 原  峻 氏
 
                    と き:平成12年1月21日(金)19:00〜
                    ところ:篠山市民会館
 こんばんは。
 ご紹介いただきましたように、いま、新しい篠山市にどんな図書館をはじめればいいか、その計画づくりに加えていただいて、何度かこちらに来ております。今日は篠山らしいといってはいけませんが、雪の日になりましたけれど、夜分みなさんにお集まりいただいて、どんなにか図書館に期待を寄せていらっしゃるかを、行政のみなさんも僕自身もしっかり感じております。

 
ワークショップとは
 今日は、ワークショップということになっております。最近どこへ行きましても「住民とともにつくる」ということが、流行ではありませんけれど、聞かれるようになりました。図書館についてもおなじです。それで私もあちこちで計画に関わる時に「計画も市民と一緒に考え、一緒につくっていきましょう」と申し上げます。そうしますと「それは分かるけれど、一緒につくるっていうのはどういうふうにするの?」というお話しになります。そこで「こういう方法がありますよ」というひとつがワークショップなのです。
 ワークショップというのは、カタカナで意味のよく分からない言葉ですが、集まって自分の考えている図書館、あるいは自分の欲しい図書館その夢を語り合いましょう、ということだと思います。今日は皆さんが後で話し合いをするきっかけになることを、少し申し上げるだけにいたします。皆さんはお話しを聞きに来たのではなくて、お話しをしに来たのですから、そのための時間をたくさんにしたいと思います。
 お手元に小さい方の紙で、『登別市新図書館構想21人委員会 新図書館の建設について』というのを差し上げております。篠山へ来て何を話そうかな、どういう筋書きにしようかなと考えているときに、北海道の登別からこの21人委員会報告というのを送ってまいりました。その第1ページに新図書館の建設についてというのがあって目を通してみると、篠山へ来て話そうと思っていることが書いてある。そこで、コピーをそのまま皆さんにお目にかけることにいたしました。
 登別は、ご存知でしょうが熱海やこのあたりでは有馬とかが温泉地として有名ですけれど、温泉だけの町ではありません。いろいろな人の住んでいる町で、図書館は既にあるのですが、それをもっといいものにしたい、ということで、市民の要望もありますが、行政の方が市民の意見をどのように図書館の計画に反映させようか?と考えて、市民から公募したり専門家を委嘱したりして、21人委員会というのを作りました。1年かけて10何ページにわたる報告書を出したのですけれど、その頭に書いてあるのが、この6フレーズです。それをベースにしながらお話しをしようと思います。

 <図書館をつくる>から<はじめる>へ
 最初に、今度篠山で新しい図書館をつくることになりました、と考えておられるでしょう。私はいつも何処へ行っても、話の始めに申し上げるのは「図書館をつくる」と言わないで「図書館をはじめる」と言いましょう−と言います。図書館をつくるというと、篠山にいま本郷図書館がありますけれど、新しい図書館を新しい市にふさわしい形でつくろうというお話ですから、どうしても図書館をつくると言います。ところが図書館をっくると言うと、どういう建物をつくるかということに詰も目も行ってしまう。
 市長さんなどが、わが町でもいよいよ図書館をつくることになった、とおっしゃる。つくると言うのは、建物を建てることです。土地を決め予算を取ると、後は設計する建築家を適当に選んで建設を始めてしまう。その結果どうなるかというと、図書館に一番大事な本をどうするのか。今は本だけではありませんけれど、本のこと、それからその本を私達に手渡してくれる本の専門家である司書のこと、そういうことは念頭から消えてしまう。あるいは浮かんでこない。図書館をつくると言うと、建物のことだけ。これはある街で経験をしたんですが、教育長さんでしたけれど、私が計画をお手伝いするのに「とにかく1uでもいいから、隣の町よりも大きいのにしてくれ」と真面目に言うんです。
 それから、ある町の図書館が2階建てだったんですね。市長さんが「うちは、3階にしてくれ」というんですね。僕が設計するわけではありませんけれど、計画のときにこう言われるのですね。つまり建物のことだけが頭にあって、その結果、本なしでは店開きできませんから、買うことは買うけれども・・‥・・。いま、篠山で計画しているのは何万冊という規模ですけれども、5万冊の本を仮に用意したとする。そうすると、店開きをした次の年に何と言うかといいますと、「図書館には5万冊も本を買ったんだ。これを一生かけても読めますか」と言うわけですね。毎日1冊ずつ読んでも365冊ですね。10年間で3,650冊、100年毎日1冊ずつ読んでも36,500冊、50,000冊本があればもう十分だ、ということになるわけです。
 司書も大事には違いないけれど、役所の職員の1人だから、いっまでも図書館に置いておいては人事が停滞する、ということで3年〜5年もいれば役所の他の人と入れ替えてしまう。館長さんもかつては、図書館を建設する時には国が補助金を出している。補助金をもらうには司書の館長さんでなければ補助金は出なかった。そうすると、他の町の図書館を退職した司書を頼んで館長に据える。据えるのはいいけれど、補助金の会計監査が済んでしまうとお役御免です。そして、次はだれが館長になるか分からない。たまたま見学に行くと、館長さんが挨拶に出るのはいいけれど「図書館にきたばかりで何も分かりませんからよろしく」ということになります。それはすべて「図書館をつくる」と言うことから始まる、と僕は思っています。
 それでは何というか。「図書館をはじめる」。例えば、クリーニング屋を始めようとするとなんといいます?皆さんがこれからクリーニング屋をはじめるとすれば「私、これからクリーニング屋をはじめることになりました」と言う。「クリーニング屋作ります」とは言わないのです。「クリーニング屋をつくる」とは、クリーニングをはじめる人に頼まれた工務店の人が言う。クリーニングもサービス産業だけれど、それをはじめるということによって、何が大事かが分かってきます。図書館をはじめるということによって、そこには本をはじめとする様ざまな資料が、きちんと用意される。それが何時行っても、私達の役に立つような状態にきちんと維持されている。その大事さが、「はじめる」をいうことによって分かってくると思います。今度も話の行きがかりで「図書館をつくる」と言ってはいますが、中身は「図書館をはじめる」です。

 子どもが図書舘の主役
 今度篠山市ができた。篠山市が新しい図書館サービスをはじめる、今その図書館元年に立っている、と考えていただきたいと思います。そこからすべてが始まっていきます。そしてこのように皆さんがお集まりになって、図書館のことを考える。自分たちの希望をふくらませて、大きな期待の中で、図書館の完成を待つことになります。このように大勢の方が集まって図書館のことを考えているのは、図書館の主役はだれであるかということを示しています。篠山市の図書館の主役はだれか。それが市民であることは間違いありません。図書館の主人と言ってもいいのです。そして今度はじめる新しい図書館の、主役の中の主役はだれでしょう。私は子どもだと思います。たまたま今年は『子どもの読書年』ということになりました。まだ新聞に出た程度で「読書年っていったい何?」ということになりますけれど、国会の衆議院と参議院の決議で、今年を子ども読書年にしよう。子供の読書を勧めるために様々な活動をしようということになりました。それを受けていろいろな団体が行事を考えたりしていますが、もしかすると1年を通して催し物がいくつか行われて、年末になって「今年は子ども読書年だったなあ」で終わってしまうかもしれない。その可能性の方が大きいと思います。
 篠山市は違います。子ども読書年にあたって、たまたまですけれど「今年は図書館元年、子どもの読書環境をきちんと整える第1年になるんだぞ」ということです。では子どもの読書環境というのは何かというと、まず家庭です。あるいは地域、学校、そして公共図書館、この4つが子どもの読書環境を支える4本の大きな柱です。「子どもの時に本に親しんでおく。生涯を通じて本と友達となる入り口は、小さい時に扉をあける手だてをしなければ生涯本と友達にはなれない」と専門家はいいます。
 しばらく前ですけれど、宮城県塩竈市という魚の町がありまして、そこの図書館のお手伝いをしました。市長さんにお会いして話をしました。「赤ちゃんがお乳から離れて、食事の始まりとなる離乳食を肉のエキスで与えると肉の好きな子どもになる。魚のすり身で離乳食を与えると、魚の好きな子になる。塩竈市の図書館はぜひ子どもを大事にする図書館にしてはしい」と私におっしゃいました。先日、宮尾登美子さんの随筆を読んでいましたら、6歳までにどういう育てられ方をしたかによって、その人間の一生が決まると書いてありました。子どもの時に、本当に本に親しんでおくことのできる篠山市にしたいと思います。
 私の話はいろいろな人に頂いたものが多いのですけれど、新潟のある市で図書館をはじめることになって、夜に市のみなさんとこのような会合を持って話をしました。市長さんは都合があって夜9時からでないと時間が取れないので「話が済んでから市長に会ってくれ」と言われました。9時から会いました。そのときは市民の会から「私から市長に図書館の大事なことを話してほしい」と言う注文だったのですけれど、話し好きというか話し上手な市長さんで、私はただ座って聞いていただけで何も言わなかったのです。
 ところが大いに感心したのが「今この町には図書館がない。これまでもなかった。けれどこの町の将来を考えると、将来を担うのは今の子どもたちだ。その子どもたちが図書館のない町で育っていいはずがないでしょう」と市長さんがおっしゃいました。「図書館のない町で子どもが育つ。その子どもにこの町の未来を預けることはできない。そのために是非すばらしい図書館づくりをしたいんだ。だけど役場の職員で図書館を知っている人は誰もいない」。もう市になっていましたけれど、ついこの間までは役場だった。篠山市と似ていますね。「市会議員も図書館を知っている人は一人もいない」。一人もいないというのは言い過ぎでしょうけれど、私がいくら図書館が大事だといっても、図書館の分からない人の中で図書館をつくるのは大変だ。たまたま市民の中に図書館を考える会というのができて、そこに子ども文庫などをしているお母さんが集まっていましたが、「あなた方が私を支えてくれなければ図書館はできませんよ」といわれた。
 後段の話も非常に大事なことだけれど、図書館のない町で子どもが育つなんて考えられない。子どもの時に図書館に親しむ、図書館で読書する、そういう子どもになってはしい。だから、篠山市の図書館は、子どもの読書を一番大切にする図書館になってほしいと思います。子どもの本をどのくらい用意するか、ということが今日の検討委員会の議題になっており、この町出身の河村一夫さんは、子どもの図書館サービスのプロなので、頼りにしております。子どもも非常に小さいときから、お母さんの膝にのっているときに、お母さんやお父さんの話を聞いたり、絵本を読んでもらったりすることがきっかけをつくるのです。

 お年寄りも主役
 もう一人の主役は誰でしょう。私はお年寄りだと思います。お年寄りが図書館の主役になる時代です。北原白秋が生まれた九州の柳川市で新しい図書館が平成8年に誕生して3年たちましたが、川下りをしながら図書館が眺められるという良い位置に建っています。町の方に、図書館ができてどうなりましたかという手紙を出しますと、返事がきました。みんな喜んで図書館に行っているけれど、押し車を使って、道を歩いているかなりのおばあさんが、図書館に車を押して毎日やってくる。朝9時に図書館が開くとやってくる。そして昼までいる。ただいるだけです。その図書館は、掘り割りの見えるところに大きな窓があり、くつろぎの場所となっている。ソファーが用意されていて、そこに座って一日でも過ごせるようになっています。そこでお昼まで座って、お昼になると家に帰ってお昼を食べてまた出かけてくる。
 それから、手紙の中にこうも書いてありました。オープンしたのは夏でしたが、「9時になったら開くのでは暑くてかなわないので、朝7時頃から図書館をあけてほしい」というお年寄りがいる。図書館が出来ても本を読むだけが図書館であれば、そういう人は出かけてこない。図書の館とは書いてあるけれど、今、図書館というのは図書の館だけではありません。この二十一人委員会の中にも書いてありますが、町に住んでいる人が一人の例外もなしに、「図書館は私の友だち、図書館に出かけていけば、本は読まないけれども私の座るところがある」という図書館の時代になってきています。
 佐賀県に伊万里市があります。伊万里焼き、伊万里牛や果物で有名ですが、その伊万里に私に言わせると日本一の図書館があります。篠山ができれば、伊万里は日本で二番目になるのだけれど、是非そうなってほしいのですが。あるおばあさんが、度々図書館にやってきては、ただ座っていたり、図書館につけっぱなしのテレビが1台あって、テレビを見ていることもできるけれど、ある時気がつくと子どもの絵本を見ていた。それからまたしばらくすると、ヘッドホンをつけてCDを聞いていた、といいます。図書館の職員が使い方を教えたかもしれないし、孫のような若者がおばあさんに勧めたかもしれません。こういう姿が、図書館は私の友だちという姿です。もちろん仕事を持ったり、家庭にいらっしゃる元気のよい人が図書館のお客さんであることには違いないけれど、わたしたちが今このために図書館をつくるというのは、小さい子どもとお年寄りです。

 十代の子どもたちへのサービス
 もう一人主役がいます。それは、十代の子どもたちです。中学生、高校生の年代の子どもたちは、今までどうだったかというと、1945年、戦争が終わり5年経って新しい図書館の法律ができて、図書館も新しい時代に足を踏み入れた。しかし、図書館そのものは何も変わっていませんでした。郷土資料のマニアや子どもの勉強部屋か、特別に読書好きの人たちが図書館のお客さんでした。その大部分が十代の子どもたちで、受験勉強をしたり宿題をするところが図書館だったのです。
 ところで、昭和40年あたりから、図書館が少しずつ変わりはじめました。図書館はだれでも出かけて行き、自分で本に手を触れて、読みたい本を借りてかえるところ。子どもに勉強するための座席を用意したり、冷暖房を用意したりするのは図書館の仕事ではない。それが昭和30年代から40年代にかけての図書館の変わりようでした。今皆さんはそういう姿に全く疑問を感じないでしょうけれど、大きな変化が訪れたときには、賛成の人も不賛成の人もありました。「貸し出し冊数が何冊なんていうことが図書館の目的ではない。」という人もたくさんいましたが、今まで勉強をするために来ていた子どもたちは図書館に来ても座席がないということで、図書館から追い出されてしまいました。
  図書館は本を貸す、あるいは借りるところというのが図書館の基本的な働きです。しかし、図書館の働きはそれだけではありません。十代の子どもたちは、若い大人であり子どもではありません。大人の前期です。むしろ大人の方に続いているのが十代の子どもたちです。その子どもたちに図書館がどのようなサービスをしなければならないかをいま考えています。
 だいぶ以前から考えてきて、少し本気で取り組みはじめたのが10年〜15年くらい前です。しかし、実際を見ていると、図書館の取り組みも私は及び腰だと思います。「これからの主役の一人ですよ」というには恥ずかしい取り組みではないかと思います。図書館で勉強をしていいのです。これからは十代の子どもたちの生活のパターンの一つとして、勉強をする、本を読む、おしゃべりを楽しむ。今のおしゃべりも形態が変わってきましたね。形態が変わって携帯電話ということになったんですけれど、携帯電話はおしゃべりの道具です。コミュニケーションの道具ですが、図書館でおしゃべりを楽しむ、あるいは、グループで何かをする、勉強をする、読書もする、音楽を聴いたり、映像を映したり、仲間同士の友だちづきあいのできるところが、十代の子どもたちにとっての図書館だと思います。それにしっかり対応できる図書館を篠山市に実現してほしいと思います。
  勉強するというと「学習室をつくりますか」といわれますが、部屋はいりません。本に囲まれて勉強する、図書館の本のあるフロアーで本に囲まれて人がいる、人に囲まれて本がある。本と人とが解け合った関係の場としての図書館がこれから考えられます。例えば、今皆さんがお座りになっているようなテーブルがあるとします。そこで、お年寄りも本を読んでいたり、中学生が勉強していたり、あるいは、お年寄りが絵本をもってきて眺めていたりする姿が目に見えてきます。中学生だけが座って勉強しているのもいいけれど、図書館はいろいろな人がいろいろな場所に自分の好きな席に座って過ごせるという、これが十代の子どもたちへのサービスです。人と本との融合、それから、子どもも大人もー緒に楽しめる施設。これが是非、篠山に実現してほしい図書館の姿です。

 
アイスランドで見た学校図書舘
 私は、93年、95年、96年と続けて北欧に、仲間10人から20人、ある時はもっと多い人数で行きました。96年には、アイスランドへ行きました。皆さんはアイスランドをご存じでしょうか。名前は聞いたことがあると思いますが、ヨーロッパとアメリカの間に大西洋があります。その大西洋の真ん中を、地球の割れ目が海の底を北へ走っていて、北極近くになって割れ目が地上に現れて、アイスランドという島になりました。ですから、コペンハーゲンから飛行機で3時間ぐらいで行けます。アイスランドが北欧の一部だとは考えていなかったのですが、北欧なのです。アイスランドを除いては北欧へ行って来たことにならないので、皆で行きましょう、ということになり行きました。
 九州の3倍ぐらいの面積のある独立国です。人口は、28万人ぐらいで、都はレイキャビクです。そこの人口が11万人ぐらいです。アイスランドというのは、しばらく前に、ソビエトのゴルバチョフとアメリカのレーガンが会談をして、そこから雪解けが始まったことぐらいしか知らなかったのですが、アイスランドへ行って図書館を見ることができました。独立国ですから政府があって、文化省の図書館局というのがありました。お願いをしていろいろな図書館を見ましたが、その中の一つに学校図書館へ行きました。びっくり仰天する学校図書館が一つありました。口で話してわかっていいただくのが難しいかもしれませんが、小学校の2階がこのような広い部屋になっていました。皆さん学校を思い浮かべていただきたいのですが、2階へ階段を上がっていきますと、そこが学校図書館になっています。本がいっぱいあって、座席があって、子どもはそこで読書をします。図書館のあちらこちらにドアがあります。そのドアを開けると教室があります。生徒たちは20人くらいが1クラスです。20人ぐらいがいいですね。すてきな教室があって、特別教室もあります。そして、授業が終わって教室を出ると図書館があります。それを見て、「こういう学校図書館ならいいね」と見に行った人みんなびっくりしました。
 最近は、オープンスクールといって、教室の壁のない学校があります。日本でも、ある小学校で、靴箱のある玄関の左手の方に、仕切りがない、広いスペースがあり、そこが図書館というところがありました。学校図書館というとたいてい普段はカギがかかっています。昼休みと放課後1時間ぐらいあけるところが多いんですけれど、壁のない学校図書館が日本にも存在します。それを一歩も二歩も超えた図書館がアイスランドにありました。それを見ただけで、アイスランドに来た甲斐があったと思いました。
 もう一つ、アイスランドでレイキャビクに着いてみますと、学校が20何校ありました。6才から15才までで、10学年制です。そこには学校図書館センターというのがあります。選んだ本は学校図書館センターが発注して、整理をしたり装備をしたりして、各学校図書館へ配送します。そして、学校図書館センターには職員が6人いましたが、本をものとして扱う仕事をしています。そのほかに、学校図書館の先生方や司書が集まって、「これから図書館をどうしようか」という相談をしたり、施設を改善しようとするときには、相談にのったりしていました。
 今、日本でも学校図書館があり、子ども読書年の前から文部省の予算をとったり、学校図書館法が改正されて、少しずつ改善の動きがみられます。それを受けて市民の間にも、図書館への関心が高まってきています。何よりも大事なのは、学校図書館に人が必要です。人のない図書館というのは、子どもたちにとって魅力がなく、何の働きもしないということです。その人も、何をするかというと、わずかばかりの本の整理などを一所懸命やっていたのでは何のための人かわかりません。ということで、ここで話を飛躍させれば、今度、篠山市にできる図書館は、今お話ししたような学校図書館センターのような機能を持てるのではないかと思います。学校は学校、公共図書館は公共図書館という別々の存在では、共倒れというか、せっかく学校図書館を援助しよう、あるいは、学校図書館は公共図書館に力を貸してもらおうと思っていても、お互いに向き合って議論するだけのこととなってしまいます。「この町が子どもの読書環境ではどこにもまけませんよ」というには、もっと具体的な手だてをして、いろんな工夫がいります。

 
市民が図書館を支える
 この町にできる図書館には、大きく期待したいことがいくつもあります。その期待を実現するのが皆さん自身です。市民一人ひとりが図書館の友だちとして支えて下さい。アメリカには、ほとんどの図書館に「図書館友の会」という組織があります。図書館の利用者が集まって友の会をつくって、図書館を動かそうとしています。その友の会のハンドブックを見ていると、『人生と同じように図書館にも友だちが必要です』と書いてあります。皆さんがこれから生まれる図書館の友人として図書館を励まし、支えて、すばらしい図書館の町をつくって下さい。その主役が皆さんです。その期待をお伝えして私のお話を終わらせていただきます。ありがとうございました。




講 話 4
 図書館をはじめるとは
                  図書館計画施設研究所長 菅 原  峻 氏
 
                    と き:平成17年7月21日 19:00
                    ところ:宮田町中央公民館

 私専門家の立場として、皆さんの会に参加させていただくことになりました。

◇図書館をはじめるとは
 私は、以前から図書館をつくるとは言っていない。図書館をつくるというと、図書館という建物をつくると誰しも考えてしまう。例えば町長さん等は何階建てがいいですか。教育長さんに会うと「隣より大きな図書館と」このようにつくるとなるとこうなってしまう。でも私たちがほしい図書館は建物よりも図書館のサービスがほしいのです。図書館に行けば本をはじめさまざまな資料があり、それを自由に手に取り借りて帰ることができる。それから図書館に行って勉強をする。あるいは明日の旅行の計画立てたいけど図書館に行ってみようかと誘い合わせて出かけていく。そういうところが図書館でさまざまなサービスを私たちにしてくれるところですね。そのためにもそのサービスの質、あるいはその図書館で働く司書の仕事ぶり、そういうものをしっかり用意してほしい。
 こうして、図書館を核とする生涯学習施設建設に際して、施設というと建物ですよね。しかし、図書館をつくるという言葉を引き出して、いよいよ図書館をはじめるのだという考えのもとに皆さんは始めていってほしい。

◇ではいったい図書館って何だろうか
 図書館は話を聞いたり、本を読んだりするだけではわからない。わかるようでもほんとうのところはわからない。「百聞は一見にしかず」と言うけれども「百聞は一読にしかず」「百読は一見にしかず」本を読むより優れた図書館を見学する。しかし見るだけでもわからないですよね。それでも「百読は一体験にしかず」つまり図書館のサービスを体験して見なければ、わからない。
 それから図書館は本の森、やはり図書館の主役は本なのです。本のあるところ、本の森です。
 こんな体験があります。スェーデンのイエデボスという第二の都市があります。その町の中に大きな森があるのです。そこは公園です。木、池、森があります。その森を私は図書館に例えることができます。さまざまな木があり、池があり、そこで大勢の人が腰をおろして、休んでいる。小さな子供をつれて森の森林浴を楽しむこともできる。若い人たちが楽器を鳴らしている。フラミンゴが道に出てあたかも哲学者のように考え込んでいるようにみえる。私はこのような森を図書館のように思う。木は根元を踏み固めると育ちませんが、図書館も同じ、根元を耕して肥料をやったりする。それが町民の仕事。ここでボランティアっていうのはこのように図書館というのを自分のものとして自分たちで育てる。このように育てると考えるとき図書館というのは本の森としてたとえるのが正しいのではないかと思う。
 日本の図書館の現状を見ましょう。今図書館は日本全国に3000幾つかあります。その半分は図書館という看板を掲げた役所です。なぜか、館長はその役所の管理職の一つでしょう。2〜3年で変わりましょう。そこには司書の仕事は半年もあれば誰でも覚えちゃうよというような感覚ですよ。わざわざ講習に行って資格なんか取る必要はないと役所の中ではそう言ってますよね。ですから看板は図書館だけどそのものは役所の一つです。さて残りの半分の90%は図書館の看板を掲げた公用の貸し本屋です。たしかに本はあるのです。行けば自分でさがして借って帰れる。どこかの仕事を退職した図書館長さんを呼んで館長になってもらう。昔は図書館長と司書がそろっていなければ図書館の補助金が出なかったから、どこからか嘱託で館長さんを連れてきた。だけどこれではほんとの図書館とはずいぶん距離がある。私たちはそこに出かけ自由に本を選び読んだり借りたりすることができれば、満足ですよね。貸し本所ならまあまあということになる。
 で第三が本物の図書館なんですが、日本には30ぐらいかな。情けない状態です。そして2/3の国民は図書館3000の外にある。では1/3は十分な図書館のサービスを受けられるのかというとそれも疑問があるのです。
 そこで、図書館の3Kを3Aに変えよう。図書館は暗い、怖い(返すのを遅れると叱られるなど)、汚い(10年も20年も公民館時代から貯めてきた本は汚い)これを新しい意味に変えよう。怖いは愛らしい図書館へ、暗いは明るい図書館に、つまりは3Aです。私は3Kを3Aに変えようとして、20年も30年も図書館とかかわってきましたが、なかなか難しいですね。
 そして図書館というのは何か、これは、海を航海する図書館丸という船に例えることができます。それはどんなに図書館丸という船がどんなに立派にできても、埠頭につないでいて「新しい船ができましたので、どうぞ見に来てください」とは1回は良いです。しかし、船も目的地に向けて海にでないといけませんね。それには、一等航海士も、船長も、通信士も甲板員も必要でしょう。全然資格のない船長だったら誰も危なくて乗らないでしょう。同じように館長は住民の子供から大人まで乗せて安全に目的地まで航海できるのでなければ図書館をはじめる意味がない。
 図書館を求めてきたのはあなたたちです。アメリカの小さな町の図書館長と話をしたときのことです。館長は「この図書館を住民の皆さんが本を持ち寄ってまたお金を集めて始めました。最初は建物がないから裁判所の一部屋を借りて始めました。裁判がある日は図書館を開けなかったけれども」というお話がありました。
 それから北欧のフィンランドは独立してから100年に満たない国です。1994年に公共図書館200年という記念をしたのです。ロシアやスェーデンの属領でもあったころにみんなが金を出し合って図書館をはじめたのです。それから200年です。図書館は自分たちが必要なものを自分たちでつくって、自分たちの手で運営し発展させてきた歴史があります。このような例は日本にもあります。
 私は図書館の主人は、その町の住民と申し上げます。この宮若という新しい町に図書館を始める時、皆さん自身がお金を出すし、サービスの仕方も皆さんが考えるといった自分のものとして育てていく責任がある。
 図書館の評価はお年寄りが決める。日本はお年寄りが増え人口は減り逆三角形の人口構成になると聞きます。そのとき、今でもそうだがお年寄りこそ図書館を自分のものとして考える、図書館に足を運ぶ時代です。皆さんもいずれはお年寄り、そのお年寄りが足を運ぶのはどこか、お年寄りがお年寄りのうちに毎日のように訪れるわけには行かないでしょう。でも図書館があれば、毎日でも、また図書館がしまるまでも居ることができる。食事は家に帰るでしょうが。
 またお年寄りは子供のときは本と縁のないような生活でした。だから図書館は私と縁がないと考えているお年寄りがたくさんいるでしょう。だけど図書館に行けば私の座るところがある。それだけでお年寄りには十分なのです。お年寄り同士がお喋りしてもいいし、子供とお年寄りが触れ合い共に語り本を読んだりする光景が大切です。子供とお年寄りなどと年代別に図書館内を仕分けされたりするのはおかしいです。一緒にいろんな人が本を読んだり雑誌をみたりする図書館をどうしてつくらないのかなと思います。また、お話をするにしてもうるさいだろうから別のところでというようなコミュニケーションも生まれてくる。
 こうしてお年寄りが明日も来たいという図書館ができたら120点をつけてもよいです。
 10代の記憶に残る図書館‥アメリカの小説に「図書館の美女」という推理小説の文庫本があるのです。その中に、「少年が故郷を出て行くことがあっても、少年の心から故郷が出て行くことはない。」‥‥私はこの意味について自問自答した。その少年が図書館で日々を過ごした記憶は少年の心から出てゆかない。その少年たちにすばらしい図書館を贈りましょうと言っているのです。子供たちが結婚して町から離れる人もいるでしょう。しかし昔、図書館にずいぶん通ったなあという思い出をつくる、それをこれからの主題の一つにしたい。

◇新しい図書館にはまず目標設定から
 では万といる住民の意思をどう反映するか。そのような場合に図書館はどういうことをレベル・目標とするのかそこが大事である。いろんな考え・レベルがあるでしょう。例えば本を選んで借りて帰る、最近は一年に貸し出し何冊になるかや、貸出10万冊目に記念品を贈呈するとか、などがありますが、私は、町民が1年に平均10冊本を借りるという目標を立てる。
この宮若の新しい図書館サービスについて考えましょう。図書館にはサービスポイントが必要なのです。今の公民館を充実させていく。また自動車図書館があったらいいなということになるかもしれない。それらを全部トータルにして、その上で町民が一年に何冊本を借りるかというレベルをどういうことにするかということです。
 それに住民が図書館に何回足を運ぶか、そこの例に10回と書いていますがこれは先ほどのフィンランド例なのです。えっ1年に10回!?、そうです1年に図書館に行かない人もいるのです。いけない人もいる、赤ちゃんもいる。平均して10回です。これは大変な数字です。3万人の人口であれば延べ30万人ということですからね。最初の目標では大きいかな。土曜日曜では人口の10%の人が来館する。こんなところはありますね。
 さて新しい宮若レベルではどの程度まで設定するか、そのことによって資料をどの程度準備すべきか、職員は何人いるか。どんな建物が必要になるか、そういうことが目標によって決まってくる。この目標を私たちも一緒に考えていきたい。
 では最後に、図書館がよくなるのも悪くなるのも町民次第です。ほんとにそうなのです。図書館の看板は「図書館」ですが中身はお役所です。それはずっと続くのです。それではだめです。私たち住民が図書館のことをよく知ることが大切です。あるいは図書館のことはどうあったらよいか考える、その図書館を支えることが大切です。
 例えばトライアングルという楽器があります。あの一辺は町民、もう一辺は行政、もう一辺は専門家・経験のある人が加わることです。どうしたよい音が出るかが決め手です。その鍵は町民にある。行政も行政としての責任というものがある。その責任を果たす、その足りないところがあれば町民が支える。一方的に役所を責めてばかりでは駄目。役所から引き出す、そして足りないところは専門家がしっかりサポートする。そして最後は図書館を使いこなす、着物を着こなすように町民一人一人が使いこなす、そのことによって図書館は未来に向かって発展するのです。
◇終わりに‥同じ広場になるように
 以上で終わりますが、皆さん一人一人が自分の役目は何であるかをしっかり考えてください。これは10人集まれば10通りの図書館像があります。みんなが最初から同じ図書館像を持ってるなんてことは不思議な話です。お互いの間に垣根がある、この垣根を低くしていく。そして最後には垣根のない広っぱになる。そこで初めてどういう図書館を始めたらいいかということになる。部屋の構成仕切りなどいろんな考えがでる。だから皆さんは垣根を払いましょう。そのためには学ばないといけない。伊万里に行くのもそのためだ。

<質問コーナーから:概要>
●図書館と生涯学習施設
 レコードのようにA面が図書館とすればB面は生涯学習施設なのです。名前はどうだっていいが、図書館は図書館ですね。ひらがなの「としょかん」でもよいのです。「私たちの図書館」という意味です。要するに道はローマ通じるように「道は図書館に通じる」ようにありたい。
●館長決め

 理想はこのような段階から決めて参加してもらうのがよいが日本の状況では無理。この町から決めるのが理想。みんなが知っている触れ合える人がよい。よそからつれてくるのは最後の最後だ。これは個人の考えでもあるが。図書館のプロフェッショナルだけでは駄目。文化を引き継ぐ先頭に立てる人。本をばかりでなく人を相手にできる人。
●図書館名
 ○○市立図書館とはいらない。関係ない。ただの「図書館」と看板をかけているところもある。わざわざ図書館を核にする○○という表現は必要ない。これから求めるのは当然図書館です。公民館は人の集まるところで、本は図書館だというような区別することはない。仲間で、一人で調べたり、話したりすることもあろう。今は資料や情報を核にして人が集まるところが図書館。右の図を見なさい。
●図書館の設計には
 図書館の設計経験のない人が建設設計をしたことがアメリカであった。そのようなことも大事なこと。図書館のわかる建築家よりも建築家としてしっかりした人、図書館の経験があるかないかというよりも、私たち住民と四つに組んで横綱相撲ができる建築家をこれから求めることでしょう。
                                     以上
       (以上は、講話録音から。 文責:本HP担当者)





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