| 若宮田川づくりの会トップへ | みやわかふれあいページへ |
犬鳴川の花の木堰(水門)に魚道を!
直方市にある、遠賀川支流の犬鳴川の水を調整している「花の木堰」です。農業用水、飲料水の調整を水門の上げ下げでしているとのこと。大きな施設に驚いていました。 その中で、ゴミなどの不法投棄等を監視するカメラが4台も設置してるとのこと、この右写真の中にも微かに写っています。さて・・・・? 見学中に、どなたかが「何か気づきませんか?」とのこと。はて?と思っていると、「ここには魚が上流にのぼったり、くだったりする『魚道』がありません。ふるい施設なので、その建設当時には、その大切さをうったえる考えが乏しかったのでしょうか?」とのこと。これでは、鮭をはじめ多くの魚・生き物はのぼってきません。 さてみなさん、どうお考えですか。 |
![]() |
その後、犬鳴川水系に魚が遡上するために、魚道の大切をつくづく感じていましたところ、以下、聞き取りなどによる貴重な資料を入手することができました。一覧・一読いただけると幸甚です。 @ 魚の遡上・降下時期図表(澤田憲孝氏作成) A 「犬鳴川はもっと豊かだった」‥聞き取り調査など |

A 犬鳴川はもっと豊かだった! 犬鳴川に関する聞き取り及び資料収集 |
T 竹島克彦さんの聞き取り集 ※70才(H17.1)。小学一年生のとき、昭和16年より若宮町福丸に住む(写真の右)。 1 戦前戦後は堤防の洪水敷に当たる部分で自由に大根・かいも・人参・等を自由につくっていた。耕した人に耕作権があり、自由に耕作していた。砂地で大変よくとれた。水田耕作はだめでだった。この河川敷内に於ける耕作は河川法の改正により牧草等の栽培の例外を除いてその後禁止となりました。 2 戦前戦後昭和28年水害を除いてそれ程水害というものを感じませんでした。 3 現在の犬鳴大橋付近の川底は大変きれいで、底の小石や砂が見えました。 4 昭和30年頃までは、川で洗濯や作物を洗っていました。水泳もしていました。 6 この頃は今のように葦は生えていませんでした。川のいたるところが小石砂の川底で底まで透き通っていました。葦が現在の様になったのは昭和30年すぎ頃からと思います。葦は脇田温泉の下流からしか育っていません。葦と河川の汚れは関係あると思います。家のない脇田温泉の上流には葦は育っていません。 7 現在の若宮消防署前の下水路も昔は大変きれいで、大雨の時などは蟹や色んな魚を捕って食べていました。 8 ハヤは砂糖醤油で味付けし食べました。また焼いて酢醤油でたべました。一部は干して焼いてワラスボに通して保存食としていました。 9 夏は桜土手が泳ぐ場所で、大変きれいでした。 11 川が汚れだしてからカマッカ・タナゴ等がいなくなりました。 12 昭和30年頃までの八木山ダムの上流の大ハヤや蟹はうまかったです。 13 現在の八木山小学校の子供はアユを知りませんでした。 14 日吉・八木山の採石場の関係で川が汚れると、石がどろで覆われていきます。そうするとハヤや鮎はじゃりじゃりしていて食べられたものではありません。 15 竹の子工場の汚れは短期間だったので、それ程汚れは気になりませんでした。ゴールド製紙の汚れはひどいものでした。(このゴールド製紙の汚れについては元西鞍手高校の理科の田中先生が相談を受け、沈殿地等を造り、薬品処理等をしましたが、結局綺麗にならず、夜や大雨の時に汚染水を流していたとの事でした)このゴールド製紙下流で奇形魚が時々取れていました。新聞にもこの事が時々でていました。 16 花の木堰が出来てから全く自然の鰻・鮎が捕れなくなりました。 17 現在では、矢部川漁協からアユを毎年購入し放流しています。但し脇田温泉より下流は小石が汚れていて、苔が育たない為鮎はいません。苔の育たない所では鮎は生存出来ないのです。 18 戦後数年間までは若宮ではよく赤痢が発生していました。これは川で遊ぶからで、赤痢と川での水泳が危険という事で川遊びも禁止されました。 19 戦後数年間は脇田温泉の所は大変きれいでした。温泉に旅館が出来てから、川も大変きたなくなりました。現在でも温泉より上流はきれいで、温泉より下流はきたないです。 |
U 若宮小学校第59回卒業生(昭和21.3.25卒) 第8回同窓会文集 より 春ちゅうたら、サクラ土手を思い出すね。「三軒屋」のとこは、花見や魚とりや泳ぎのよかとこやった。原田に行く所に小さなイカダのような架け橋もかかっちょつて大水が出るとすぐ流れよったなあ。(紐で括っていたので、大雨がくると意識的に片方を流し、大雨がすぎるとまた紐でたぐりよせもとの橋にしていた) |
| 若宮田川づくりの会トップへ | みやわかふれあいページへ |