第54番札所 近見山 延 命 寺(ちかみざん・えんめいじ)
         愛媛県今治市阿方636 (рO898−22−5696)



ご縁起 天平年間(729〜749)行基菩薩が、不動明王を刻んで本尊とし現在の
延命寺の位置から北北東、約2Kmの近見山の頂上に、七堂伽藍を建立したのが
始まりで、後に嵯峨天屋の勅願により、四国順錫中のお大師さんが再興し近見山
宝鐘院 ・円明寺(53番札所円明寺と同じ)と号し、54番霊場に定められました。  

その後は寺運も栄え七堂伽藍も 整って荘厳を極めましたが、たび重なる兵火によ
って焼失し、そのたびに寺は移転を繰り返して、江戸時代中期の享保2年(1717)
現在地に再建されました。
寺号の円明寺は明治になってから、53番札所と同じでは具合が悪いので延命寺と
変えました。
ご本尊  不動明王

ご真言  のうまく さんまんだ ばらざだん せんだ まかろしゃだ 
      そわたや うんたらた かんまん

ご詠歌  くもりなき 鏡の縁と ながむれば 残さず影を うつすものかな

宗 派  
真言宗豊山派
  ↑上(お姿札)下(納経帳:ご朱印)共に画像クリックで拡大します。           

山 門 本 堂
大師堂 鐘 楼


円明寺で松山市の札所を打ち終えて、延命寺から今治市へ入ります。
延命寺は、周囲を田園に囲まれた静かな環境のお寺で、もとは今治城の
城門であったという、山門をくぐると正面に本堂、左の石段を上ったところ
に大師堂があります。
山門の右手に鐘楼、梵鐘に纏わる「鐘(近見太郎)」の伝説があり、寺の
院号の"宝鐘院"は、これに由来するといわれています。

また鐘楼のそばに、農民の貧窮を代官に直訴し年貢を減らすことに尽力
した庄屋、越智孫兵衛の墓があり、享保17年(1732)の大飢饉で1万人
以上の死者が出たが、この地方では死者は一人も出ず、村人達が感謝
して、毎年8月7日に慰霊祭が行われています。
ほかに、延命寺が当地に移った際に植えられたという銘木「つぶらじい
があります。  
赤字表示クリック!でみれます。