山中知義牧師の証

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『子が父を赦すとき』 山中知義の証

暴力と憎しみの果てに(『百万人の福音』08年6月号記事より)

 その夜は、思いがけず早く来た。泥酔した父が、私の部屋に押し入って来たのだ。デスクに向かっていた私の後頭部を、父は思いきり殴りつけた。私ははずみで、本棚の角に顔面を激しくぶつけ、一瞬意識を失ってしまった。床に倒れた私の上に、父は馬乗りになり、さらに激しく私の顔面を殴り続けた。私は、「次にこのようなことが起きたときには」と、ベッドの枕の下に、抜き身のナイフを忍ばせていた。私は、必死で枕の下に手を伸ばすと、父に切りかかっていた。父はとっさに身を守ろうとして、刃の部分を握った。その瞬間、父は叫び声をあげて部屋から飛び出して行った。
 私はそのまま父を追う気力もなく、崩れ落ちた。私は部屋の扉を固く閉めると、それにもたれかかった。私の手にはまだナイフが握りしめられていた。見るとかすかに父の血が付いている。また床には父の血が数滴落ちている。扉の向こうでは、「警察を呼べ! あんなやつは警察に突き出してやれ!」という父の怒声と、「やめてあなた! お願い! あの子にはまだ未来があるんやから!」と狂ったような母の声。私はそれを聞きながら、目の前の血痕がみるみる錆び色へと変わっていくのを見つめていた。その瞬間、私は一つの結論に達した。「人生に意味はない。いのちには何の価値もない」と。これは私が十六歳の冬の出来事だった。

母の自殺未遂、そして受洗

 私は一九七一年、神戸市で医者の家庭の長男として生まれた。父方の祖父も、母方の祖父も医者で、親族にも医者が多かった。長男である私は当然のように、家業を継ぐよう期待され、幼いころから厳しい教育が施された。わが家には特定の宗教はなかったが、哲学はあった。「武士道」である。父は「文武両道」ということばをよく口にし、日曜日には「剣道場」に私を通わせた。あるときは日本刀を持ち出してきて、幼い私に「切腹の儀」を伝授した。後になって分かったのだが、父はいわゆる「右翼思想家」だったのだ。
 このような父のもとに嫁いだ母は苦労した。母方の祖父は、貧しい人々のために夜中でも往診に走るような人格者だった。「見合い」で知り合った父を、母は「医者ならば皆、父のような人格者に違いない」と思い、結婚を決意したという。
 私がまだ小学校の低学年のころ、ある事件が起きた。母が寝室から三日も出てこないのだ。三日目に、姉が母方の祖母に助けを求める電話をかけた。すると危機を察した祖母は、親族とともに駆けつけ、寝室の扉を壊して入った。母が精神安定剤を大量に服用し、自殺を図ったのだ。原因は、度重なる父の暴力と浮気、それに同居していた父方の祖母による嫁いびりだった。
 一命を取り留めたものの、それから何年も母は「生けるしかばね」のように無気力に暮らした。しかしその母にも転機が訪れた。ある日、私の姉が家のポストに入っていたチラシを見て、英会話学校に通うようになった。それは、アメリカ人宣教師が指導する教会付属の英会話学校だった。姉も父のことで随分と心に傷を負っていたが、この宣教師との出会いが姉の人生を大きく変えた。これをよく思った母も、姉といっしょに教会に通うようになった。それから数年後、母は洗礼を受けた。
 しかし私だけは、頑としてキリスト教の影響を拒み続けた。だが、そんな傲慢な姿勢を示す私に対し、母や教会の方々は熱心に祈りを積んでくださった。母や宣教師が祈れば祈るほど、私のプライドは砕かれた。成績はもちろん、クラスメートたちとの関係、健康などが次々に破たんした。高校に入ってからはさらに悪化した。家では父と、学校ではクラスメートとぶつかった。自暴自棄になった私は、一本のナイフを買った。もし父が再び酒に酔って、私や母に暴力を振るったら、今度こそ殺してやると決めたのだ。そして遂にその夜がやって来た。

「父親殺し」寸前から「敵を赦せ」への葛藤

 私は、もう少しのところで「父親殺しの少年A」として紙面を賑わすところだった。私はその夜、悲しくて、やるせなくて、一人布団の上で泣いた。そのときだ。私の口から祈りが出てきた。
「神よ。あなたは本当におられるのですか。いるなら答えてください。もし本当にいて、今の私をご覧になられていて、少しでも哀れだとお考えなら、そして助ける力がおありなら、どうぞ私を助けてください」
 この祈りへの応答だったのだろうか。それから数日後、あのアメリカ人宣教師が私を家に訪ねて来た。それから数週間後、私は宣教師から聞かされたキリストの十字架の意味を思い、号泣した。一九八八年三月二十一日。私はイエス・キリストを自分の人生の救い主として心に受け入れる祈りをささげた。
 それから私の人生は激変した。その一週間後に、私は渡米していた。宣教師の世話で、高校留学することになったのだ。訪れたのはペンシルベニア州ランカスター市。昔からクリスチャンが多い、優しい雰囲気の町だった。あるとき聖書の学びをする集まりに参加した。そこで語られたのは、「もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません」(マタイ六・一四、一五)。
 これを聞いて私の心は穏やかではなかった。私には赦せない人がいた。それは父だった。この日から葛藤が始まった。キリストを愛すれば愛するほど、葛藤を感じた。寝ても覚めても、「敵を赦せ」という声が脳裏をよぎった。もはや御心は明らかだった。私は父に手紙を書くことを決心した。しかし手紙が書き進まない。どうしても手が震えるのだ。そして怒りが満ちてきて、結局その手紙は破り捨ててしまった。私はこんなことを一年あまりも繰り返した。
 だがある日、ついに一通の手紙を父に送ることができた。試みてから一年以上がたっていた。しかし父からの返事はなかった。それでも、キリストに従うことができた私の心は晴れやかだった。私は主に従い、父との和解への一歩をついに切ったのだった。
 数年後、私は献身に導かれ、ランカスター聖書大学に入学した。その大学で私は、さらに父との和解、また自分の心の癒しに、大きく近づく恵みをいただいた。「カウンセリング」の授業でのこと、特別な課題を与えられた。それは、自分の家系をさかのぼれるまでさかのぼって克明に調べてこいというものだった。私は、父と母の生まれ育った家系についての情報をかき集めた。その結果、私は今まで知らなかったさまざまな、わが家の秘密を知ることになった。

父が受け継いだトラウマ

 母方の家系は健全そのものだった。しかし、父方の家系には、数々の悲しい事件があった。その最たる事件が、父方の祖母の家で起きた「殺人事件」だった。祖母は、遺産相続をめぐり、愛する母親を何者かに毒殺されるという悲しい経験をしていたのだ。こうして祖母は、その多感な青春時代を裁判所通いに費やすことになった。人を疑い、人を憎み、人から疑われ、人から憎まれて生きてきたのだった。この事実を知った私は、祖母がなぜ人の悪口ばかりを言う人だったのかを理解することができた。
 またなぜ父が、あのような横暴な性格の人間になってしまったのかも理解できた。祖母の心の傷が、いびつに父の心に受け継がれたのである。
 そんなある日、聖書の中の姦淫の罪を咎められた女の話を思い出した。人々は彼女を石で打ち殺そうとしていた。しかしイエスさまは、かがんで地面に何かを書いていた。一体何を書いていたのか。聖書はその詳細に触れていないが、なぜか私は「君のことをすべて知っているよ」と書かれたのではないかと思った。
 あれだけ厳格な宗教社会で、殺されるかもしれないと分かっていても、男性との不倫関係を続ける女……。もしかしたら、幼少期に性的虐待を受けたのかもしれない。もしかしたら、人には分からない数々のトラウマ体験が過去にあったのかもしれない。彼女とて、そのようなライフスタイルを望んで生きているわけではない……。そういう彼女の歴史をイエスさまは、瞬時に見抜いたのではないだろうか。だから、ほかの人々と違ってすぐに断罪せずに、むしろ憐れんだのではないだろうか。
 すべての行動には原因と動機があるのだ。祖母や父の時代には戦争があった。今では考えられないような思想教育があった。その上、卑劣な「殺人事件」に直面したのだ。心が壊れないはずがない。実は祖母も父も、なりたくてあのような性格の人間になったのではなかったのだ。私はそれまで、父を加害者としてしか見ていなかったが、被害者でもあったのだと、理解することができた。私はようやく父のことを、イエスさまの瞳を通して見ることができるようになった。生まれて初めて、父を憎しみではなく、憐れみと愛の目で見ることができるようになっていた。

親子の確執が解けて

 大学卒業を前に、一時帰国をした。私は歯を食いしばることなく、平安な心で父と向き合うことができた。数年ぶりに会った父に、「久し振りに二人だけで食事でもどうですか」と誘った。数週間後、返事が来た。「金曜日、駅で六時に」とだけメモにあった。時間どおり行ってみると、父が腕組みをして立っていた。黙って父に続くと、「赤ちょうちん」へと入って行った。父は酒癖が悪いので、これはまずいと思ったが、主にゆだねた。
 父は、いくつかつまみを注文すると、黙ってビールを飲み始めた。しばらくすると、思いがけず父は話し上戸になっていった。職場のこと、最近亡くなった友人のこと、趣味であるカメラのことなど。そして父のライフワークである、中世ヨーロッパの歴史の話になった。ここから三時間、父の歴史講義だった。私は、一つひとつのことばに耳を傾けた。確かに驚くほどの情報量だ。素直に感心して、相槌を打った。「お父さん、すごいね。これだけ知っていたら大学教授になれるね。大したもんだね」。父は、ますます上機嫌になった。
 私はそのとき、用意していたプレゼントを父に差し出した。それはネクタイだった。国粋主義者の極右翼思想家である。「ありがとう」などとは決して言わない。ただ、そのネクタイを見つめながら、父は確かにことばを探していた。そしてようやくこう言ったのだ。
「俺の趣味がよく分かったなあ」
 父は帰り道でも歴史の講義を続けた。私もひたすら聞き続けた。そのとき春の夜風が、本当に気持ちよく感じられた。私はこの瞬間、十五年以上にわたる、血を見るような恐ろしい親子の確執が、完全に解け去っているのを知った。私は心の中で主をほめたたえた。まさかあの父と、笑いながら春の夜風の中を肩を並べて歩く日が来るなんて! こんな日がまさか来るなんて! と、神でしかなし得なかった奇蹟を感謝した。そして心から確信した。わが家でさえいやされたのだ。私と父でさえ和解できたのだ。キリストにとって、修復不可能な家庭など一つもないのだと。

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