爆発伝道とは?
爆発伝道(Evangelism Explosion)とは、キリストにある信仰を、他の人々に分かち合う方法を指導するミニストリーであり、未信者を救いの信仰へとお導きするミニストリーです。そのコンテンツは、祈りはもちろん、みことばの学び、OJT(On the Job Training)という伝道実践課程を含みます。OJTでは、経験者が、未経験者を伴って実際に伝道に出かけます。また『霊的増幅』というリバイバルの原則も共に学びます。
この『霊的増幅』とは、爆発伝道におけるキーワードです。爆発伝道は、一人が一人を回心に導くことだけを目的としているのではなく、新しく回心した人が、更に、新しい人を回心に導くことができるように訓練してゆくものです。新約聖書の「使徒の働き」において、私たちはイエス様の弟子たちが、「増幅に増幅を重ねて行く」姿を見ることができます。この「増幅」の法則は、私たちに、全世界の福音化が現実的に可能であるという希望を与えてくれます。
OJT(On the Job Training)も、伝道爆発において極めて重要な過程です。すでに爆発伝道の個人伝道方法をマスターしたベテランと、実際に出て行って、現実の生活の中でいかに個人伝道がなされるかを見ます。こうして伝道方法を学ぶのです。操縦室に入ることなしに、飛行機の操縦方法を学ぶことが不可能なように、個人伝道も、教室という安全地帯を出ることなしに習得することはできません。
福音を段階ごとに、また個人伝道で引用する聖句と「たとえ話」を、少しずつ毎週学びながら、生徒たちは一生涯役に立つ伝道ツールを習得するのです。
爆発伝道の歴史
ジェームス・ケネディー牧師(1937-2007)爆発伝道は1962年に、ジェームス・ケネディー博士によって、開発されました。若き牧師として、ジェームス牧師は、様々な伝道の試みをしていましたが、すべてが空回りでした。礼拝出席者は減る一方です。その頃を振り返り、ジェームス牧師は言います。「礼拝出席者が妻一人になるのも、あと数カ月のことだろう。その妻でさえ、『道路の向こう側にあるバプテスト教会に行きたい』と言って私を脅すのだ。」
それは、ジェームス牧師の牧会人生でどん底の時期でした。その頃、友人のスマート牧師が、ジョージア州スコットデール市で開かれた伝道集会に、ジェームス牧師を招きました。 その10日間に渡る集会中、ジェームス牧師は、スマート牧師とともに、行動し、いかにスマート牧師が個人伝道をするかを見ました。そして全集会が終わったときには、何と54名の信仰決心者が興されていたのを見たのです。ジェームス牧師は、この経験と祝福を自分の牧会する教会に持ち帰り、それを後に「爆発伝道」へと開発させたのです。その後、教会は成長に成長を重ね、12年というわずかな期間に、17名から2000名へと成長したのです。
個人伝道を一人で続けることに困難を覚えたジェームス牧師は、伝道者育成訓練に重きを置き、OJT(実践訓練)を開始しました。1967年、ジェームス牧師の牧会するコーラルリッジ長老教会は、全米で最も急成長する教会となりました。1972年には、爆発伝道は株式会社となり、独自の従業員と、理事会を持つようになりました。また海外にも進出し、そのテキストが多くの言語に翻訳されました。1984年には、米国内におけるよりも、海外におけるセミナー回数が上回るようになりました。
1996年、爆発伝道は、遂に全世界の国々で開催されました。テキストは70の言語に訳され、セミナーは各地で開かれました。しかしまだまだ未開拓な地域もあります。その地における現地リーダーを育成し、全世界に開発されてゆく必要があります。
山中知義牧師と爆発伝道の出会い
PDF版『爆発伝道との出会い』
私は1988年に、私は一人のアメリカ人宣教師婦人から、福音を聞きました。渇ききった私の魂はイエス・キリストの福音にすぐ応答しました。その夜、一人で宣教師からもらった「四つの法則」というトラクトを握り締めて泣きながら、イエス様を、罪からの救い主としてお受け入れしたのを昨日のことのように覚えています。その直後、私は、その宣教師のお世話で、米国に高校留学することになりました。それから三年間、私は多くのクリスチャンたちに囲まれて、信仰を妨げるものの少ない環境で過ごしました。しかし、米国の高校を卒業し、帰国した私は、あっという間に教会から離れ、世の価値観に飲まれて行きました。 そんなある日、第一次湾岸戦争が勃発したのです。それから間もなく、私の在米中に親しくなった友人たちが次々に中東に派兵されて行きました。私はこれを「対岸の火事」のように見ることができず、深刻に受け止め、様々な思いに駆られました。
「神がいるならなぜ?」「神が愛ならなぜ?」
「聖書は本当に真理を語っているのか?」
私は、連日、このような疑問と向き合い、クリスチャンとして生きてゆくべきか、あるいは棄教すべきか悩みました。聖書が本当に神の言葉なら、そしてキリストが本当にメシアなら、これは一大事だと言わねばなりません。しかしもし違うのなら、私は信仰を捨てて前進するつもりでした。私は答えを求めて一人旅に出ることにしました。神がいるなら、そして聖書が真理なら、「しるし」がきっと与えられると思ったのです。
私は住んでいた兵庫県から、一人歩き始めました。三日間野宿しながら歩き続けました。その間、私はずっと神と戦っていました。「神がいるならなぜ?」「神が愛ならなぜ?」「聖書は本当に真理を語っているのか?」三日目、岡山県のある田舎町で、私は遂に歩けなくなってしまいました。靴を脱ぐと大きく皮がめくれていました。私は、そこでヒッチハイクをしました。気の良いトラックの運転手が私を広島まで乗せてくれました。広島では原爆の凄まじい被害の記録を見ることになりました。塞ぎそうな気持ちが、もっと塞ぎそうになり、私は急いで広島を後にしました。旅の最後に到着したのは長崎でした。行かなくても良いのに、なぜか、私は原爆記念館を訪れていました。今思うと、神は、私があえて見ないようにしているものを、首根っこを掴んでよく見せようとしていたのだと思います。
長崎の原爆記念館の出口で、私は自分の心が壊れてゆくのを感じました。多くの人前であるにも拘らず、私は涙を押さえることができませんでした。翌日、私は夜行バスで帰途につきました。バスの中、私は問い続けていました。「神がいるならなぜ?」「神が愛ならなぜ?」「聖書は本当に真理を語っているのか?」しかし想いに浮かぶのは、湾岸戦争で死んだ兵士や市民たちの写真。そして広島と長崎の惨状。神の声らしきものは皆無でした。その代わり思い出したのは哲学者ヘーゲルの言葉でした。
「人間が歴史から学べることは、人間は歴史からは何も学べないということだけだ。」(フリードリヒ・ヘーゲル)
何と絶望的な言葉でしょう。しかし私がこの旅で見てきたものは、その事実を裏付けるものばかりでした。私は、この探究の旅の結論に近づいていました。神はいない。聖書はでたらめだ。棄教し、前進しようと。
ところが、この旅路はまだ終わっていなかったのです。疲労困憊した重い体を引きずって、私は住んでいた四畳半のアパートに帰りました。背負っていたバックパックを「ドサリ」と下した瞬間、私は、崩れるようにその場に座り込みました。二月の寒い時期です。私はこたつに入りました。すると何と、こたつが暖かいのです!二週間も家を空けていたのに、私はこたつを消し忘れて出かけたようなのです!しかし木造の古いアパートです。私は出発前に確実にガスの元栓と電源(キッチンの上に設置されていた)を切ったのを覚えていました。
ではなぜこのこたつがついているのか。
次の瞬間、今度は私の目に
「我、限りなき愛をもて汝を愛せり」(エレミヤ記31:3)
というみ言葉が飛び込んできました。それは何年も前に、高校の恩師(珍しくクリスチャン教師だった)が、半紙に墨で書いてくれたものを私が壁に張っていたものでした。その瞬間、やり場を失っていた感情が噴き出しました。こたつは、私の冷え切った体を温め、まるで優しい羊飼いの腕の中にいるようでした。私はようやく、このこたつが、神様による「しるし」だと知ったのです。私は泣いていました。そのとき、ようやく神様の想いが聞こえてきました。
「神がいるならなぜ?神が愛ならなぜ?聖書は本当に真理を語っているのか?とお前は問うが、それに答える前に、お前自身に問う。人間に・・・罪はないのか?」
私は、今まで本当に心の底から「悔い改め」たことがありませんでした。人間は地獄に落ちねばならないほど「悪」だとは思っていなかったのです。しかし、この二週間で見てきたもの、いや見せ付けられてきたものは、「人間には罪があり、その責任を神から問われている。私たちは、神に対し負債を負っている」ということのもう一つの「しるし」だったのです。それなのに、私は「だから神はいない」と逆の結論に向かっていたのです。私は方向転換する必要があると気付きました。そして初めて、自分は地獄に落ちるべき者であるという認識から、神に祈ったのです。すると十字架がこれまでになく意味を持つ存在として輝き始めたのです。
十字架とは、絶望しなければ理解できない真理だということを始めて悟りました。
私の探求の旅は、こうして平安と喜びの結論に到達したのでした。
私はそれから間もなく、万感の思いで「洗礼」を受けました。そして再び、渡米し、大学に入りました。専攻は「報道写真」でした。しかし入学して三ヶ月後、私の人生を、さらに大きく変える出来事が待っていたのです。
それが『爆発伝道』でした。
ある日曜日、いつものように教会に行くと、友人が、「トモは今日から、爆発伝道のクラスよ」と言うのです。それまでは留学生のためのバイブルクラスに通っていたのですが、その日から違うクラスへ行けと言うのです。しかし「爆発伝道」のクラスは登録制で、私には申し込んだ記憶がないのです。しかし確かに、私の名前が登録されていました。未だに誰が登録したのか分かりません。
仕方がないといった気持ちで、そのクラスに向かいました。それは、個人伝道の方法を指導するクラスでした。伝道に関心が無かった私は、とても困りました。人前で喋ることは苦手でしたし、しかも英語で伝道するなんてとても自信がありませんでしたし、想像さえできませんでした。
しかし、翌週の水曜日には早速、訪問伝道に遣わされてしまったのです。私は新参者ですから、二人の先輩について、出かけました。訪問した家は、小さなアパートで、
四十代前半の女性とその娘が住んでいました。その女性は少し疲れた顔をしています。お話を伺うと、最近離婚したばかりだそうです。始めは他愛のない会話が続きましたが、リーダーが、頃合いを見計らって、会話を巧みに福音伝道へとシフトさせました。「爆発伝道」では、二つの質問から入るのです。
「ところで、あなたは自分が『救われている』と思いますか?」
婦人:「・・・よくわかりません。」
「ではもう少し分かりやすい質問にしましょう。もし、あなたが今晩死んだとします。そして神様の前に立たされたとします。そして神様からこう聞かれたとします。『どうしてあなたを、私の完璧な天国にお迎えしなければいけないのですか?どんな資格があるからあなたは入れると思いますか?』このように神様から問われたら、あなたは何とお答えになりますか?」
リーダーは、ここから、巧みに会話を導き、二十分後には、この女性を、見事に「信仰告白の祈り」にまで導いていたのです。その女性が、軽薄な気持ちで祈っているのではないことは明らかです。彼女は咽び泣いているのですから!
そればかりか、彼女は、今の話を娘にもして欲しいと私たちにせがみました。そして幼い小学生の娘を膝に乗せ、もう一度リーダーに福音を説明してもらいました。その夜、少女も、お母さんと一緒に、イエス・キリストを救い主として受け入れる祈りをしたのです。翌週の日曜日、朗らかな表情で、教会の礼拝に参加しているその親子の姿を見て、皆で喜んだものです。
その夜、私の心は静まりませんでした。二人の親子が、目の前で回心するのを、この目で見たのです。
永遠の滅びから、永遠のいのちへと、移される現場に私は立ち会ったのです。その人々の永遠性を左右する、崇高な働きに、私たちが用いられたのです!
興奮冷め止まぬまま、高らかにワーシップソングを歌いながら、私は自宅に向けて車を走らせていました。私は、先ほどの「爆発伝道」の質問を、自問してみました。「もし今夜、このまま交通事故で死んで、神様の前に立たされたとしよう。そして神様からこう聞かれたとしよう。『どうしてあなたを、私の完璧な天国にお迎えしなければいけないのですか?どんな資格があるからあなたは入れると思うのですか?』 このように神様から問われたら、私は何と答えよう。」
私は言いました。「はい。それは、私がイエス・キリストを信じているからです。救いは、働きによるのではなく、一方的なあなたの恵によるのであり、信仰を通して、与えられる賜物だと信じております。」
すると、心の中に、「お前も救われているじゃないか」という声が響くのを感じたのです。この瞬間、私の中で何かが爆発しました。フラッシュバックのように何かが見えます。そして不思議な匂いがしました。それは天国の景色と匂いだったのかもしれません。私は、驚きと感動で大声を挙げていました。それは説明しようもない感動でした。私は涙を流し、鼻水を流し、全身汗でびっしょりになりました。11月でしたので、車のウィンドーシールドが、あっという間に曇ってしまい、危険だと思い、車を高速道路の脇に一次停車しました。
時計は夜11時頃を指していました。外の冷たい空気に当たろうと思い、私は車の外に出ました。涙を拭いて、呼吸を整えて、気持ちが落ち着いたら、出発するつもりでした。ところが、私は結果、そこに一時間以上留まることになったのです。
ここからの話は、話す相手を選ぶことにしています。信仰を誤解されたくないからです。しかしここでは、あえて分かち合うことにします。
ペンシルバニア州ランカスター市から、ハリスバーグ市にむけての国道283号上の、マウントザイオン(シオンの山)郡を過ぎたあたりでした。真冬のペンシルバニアは、夜空が透き通っていて、星がよく見えます。呼吸を整えながら、夜空を見上げていると、何と三つの星が動いていたのです。私は目の錯覚だと何度も、自分の目を疑いましたが、間違いなく、三つだけが、おかしな動きをしているのです。飛行機だと思いましたが、動きがおかしいのです。その三つの星は、互いに距離を縮めたり、広げたりしながら、ゆっくりと動いていました。私は懸命に、それを見失わないよう見続けました。しかし、一時間ほど経つと、地平線に消えていきました。一体この現象が、何を意味しているのか、どう解釈すべきなのか、十六年が経つ今でも分かりません。
本当に不思議な夜でした。何が、自分の身に起きているのか、皆目見当がつきませんでした。しかし、確かなのは、私は、別人になっていたということです。その後、私は道路をユーターンし、来た道を戻り、最も親しくしていた友人夫婦を訪ねました。夜も12時を回っており、彼らは、興奮し泣きはらしている私の顔を見て心配しました。私が交通事故にあったと思ったのです。
私は下手な英語で、しゃくり上げながら伝えました。
「今晩二人が救われた!そして変な星を見て・・・そして・・・とにかくI'm saved! I'm saved! 僕は救われている!僕は救われているんだ!」
事情が分かったらしく、その夫婦は、「トモ、あなたはボーンアゲイン(新生)したんだわ!」と一緒に涙を流して喜んでくれました。私は興奮を抑えることができず、家に戻ってから、一晩中、日本にいる親族や、友人たちに、手紙を書き続けました。イエス様を信じて欲しいと。私は、その日から、救われた喜びで、一杯でした。そして「爆発伝道」の方法を用いて、毎日、伝道するようになりました。それが楽しくて、嬉しくて仕方がなくなったのです。ところが一つ困ったことがありました。せっかく大学に入ったばかりなのに、専攻科目(報道写真)への関心が、消えてしまったのです。結局私は、その大学を止めて、一生伝道したいと思い、聖書大学に入り直し、後に神学大学院を終了して日本に戻りました。
あの日、私は、本当に何かに執りつかれたようになっていました。それが聖霊様のお働きだったということは、ずっと後になって知りました。ある時、ホーリネス系の教会で、この証をしたら、そこの牧師先生が「それはきよめ体験だよ」と教えてくれました。別の福音主義の教会で証をしたら、「ボーンアゲイン(新生)体験」だと言われました。ペンテコステ系の教会で証をしたら、それは「聖霊のバプテスマ」だと教えてくれ、歓喜したのを覚えています。でも「異言」は出なかったというと、「では違うかも知れない」と言われ、混乱したものです。
いずれにせよ、深い悔い改めの伴う「洗礼」のあと、私は「爆発伝道」を通して聖霊様の力を頂き、変えられました。救いの確信が与えられ、伝道の喜びを知りました。私はもはや人から言われたから信じているのではありません。聖書にそう書いているからという理由だけでも信じているのでもありません。私は、キリストと出会ったのです。自分で体験したから信じているのです。この「爆発伝道」から、皆様も、爆発的な聖霊様の祝福をお受けになられることを心からお勧め致します。
横浜オンヌリキリスト教会
牧師 山中 知義
横浜第一期「爆発伝道:個人伝道ワークショップ」
"SHARE YOUR FAITH WORKSHOP"
2008/10/31~11/2
多くの方々が熱心に受講された。 Many enthusiastic attendants
パワーポイントで分かり易く。 Teaching with PPT. Easy to learn!
爆発伝道はトラクトを使わず、ハンドプレゼンテーションで。
EE does not depend on tract, but uses own "five fingers."
講義するトム・マングハム牧師 : 爆発伝道アジア地区代表
Rev. Tom Mangham : Director of EE Asia
講義をするフランク・アレキサンダー牧師 (Rev. Frank Alexander)
講義するスティーブ・ハンロン牧師 (Rev. Steve Hanlon)
グループディスカッションもしながら。
Encouraged to do many group discussions
動画映像の様々な比喩から学びます。
Learning from many fun video clips
受講生たちと。ワークショップには70名参加。
With some students. Cheeze! or Sushi! Together 70 people took the courses for the first time
実地訓練のために伊勢崎モールへ。
Now going out for OJT to the Isezaki shopping mall!
するとチームが一人の青年を教会まで連れてきた!
One OJT team came back to the church with this young guy.
名古屋から横浜に仕事で越してきたばかりだという。
He shared with us that he just moved from Nagoya city to Yokohama and have no friends in Yokohama area.
皆が見守る中、「爆発伝道」の方法で福音を簡潔に伝えます。
With students observing, pastor Yamanaka gave Gospel presentation in a way we just learned.
「・・・イエス様のプレゼント、受け入れますか?」
Woul you accept Jesus' free gift of eternal life?
何と!この夜、彼はイエス様を受け入れました!彼は今、毎日のように教会に来ています!ハレルヤ!
Amazing! He humbly said he wanted the gift! Since the night, he comes to church almost everyday!
翌日は、横浜華僑教会へ。フランク牧師と、スティーブ牧師が指導。
Following day, we held "One day EE Seminar" at Yokohama Chinese Church.
パワーポイントを使って分かり易く、楽しく指導します。
Using colorful PPT. Easy to learn! Fun to learn! Difficult to forget!
山中牧師は、この日、中国の服を着ました。
Pastor Yamanaka wearing Chinese jacket.
華僑教会の呉牧師も、爆発伝道経験者。回心率80%と自分の個人伝道経験を証しした。
Dr. Oh of the church took EE long ago in USA. he said, the conversion ratio since then is over 80% in his countless witness experiences.
参加者30名。ワークショップと合わせて100名以上の方々が訓練を受けました!今後も、日本の各地でワークショップを開催する予定です。詳しくは045-641-6468までお問い合わせください。
30 people took the class that day. With Yokohama Onnuri workshop, together over 100 took the course! We are planning to hold many "Share Your Faith Workshop" in many locations in future. Want to learn more about EE? Call 0454-641-6468.



